胸の高鳴りにも似た心ざわつく感覚と同時に、安らぎや畏敬の念をも抱かせる景色に出会いました。
その時に僅かな兆しを捉えた気がした、遠い水平線のさらに先にあるものを現したいと制作しています。
水平線の先にある何かを描くことで、漠然とした概念でしかなかったことが、実感として湧きあがった感動を表現したいと思いました。
それはあるお盆※のことでした。海から続く小さな山の中腹にあるお墓にお参りするため、車を海沿いの駐車場に停めて車外に出ると、目の前に夕暮れ間近な空が圧倒的なスケールで広がっていました。その美しい大空に感動し、さらにその下に広がる海の様子に目が釘付けになりました。
夕日に照らされた水面はトロンとして一筋の波も立っておらず、柔らかで気持ち良さげな緑色の絨毯が果てしなく敷き詰められているかの様です。ここの海は常時風が吹き、必ずといっていいくらいに波立っているので、風がそよともせず嘘のように静まりかえった様は不気味にさえ感じられました。けれども静寂の中、遠い先まで続くビロードの様な水面を眺めていると、神秘的で敬虔な気持ちが湧き上がってきました。何故ならこの不思議な風景が、幼少の頃に教わったことを思い出させたからです。
それは太陽が沈む落日のかなたに浄土が横たわっていることや、お盆には先人の霊が子孫に会いに遠い沖からやってきて、お盆が終わると海の向こうに帰っていくと言う伝承です。
奇しくも今日はお盆で、お墓参りにやってきたところです。この海は精霊が渡って来るための最適な状態なのかも知れない、自分がこの海の上を漂い飛ぶことになった時の気持ちが良さなど考えながらさっさとお墓参りを済ませ、もう一度あの海が見たいと駐車場に急ぎましたが、終えた時には既に風が出ており夕日も海も別物になっていました。
その景色を見たのは僅かな時間でしたが、そのままずっと海を眺めていたかったと今でも思うのです。
水平線の先にあるものとは、人間がどこからきてどこへ行くのか、行ったその先はどうなっていて、今を生きることと繋がっているのだろうかということです。
このお話は宗教的な話では全くなく、小さな頃から刷り込まれて心に根付き、私の深層心理を形作っていることから発せられたものですので念のため申し添えます。
※お盆とは、8月13日~15日の3日間行われる日本の1年に1度の行事。お盆の間はご先祖様の霊が「あの世・浄土」世界から、生きている私たちがいる「この世・現世」に戻ってくるとされ、ご先祖様へ感謝し供養を行います。再び戻っていくあの世での幸せ(=冥福)を祈り、3日間毎夕お墓参りをします。